自省
リアルタイムコミュニケーションって大変だ。
過去編
産まれてからしばらく、自分の思ったことについて考える事はなかった。
読書感想文なんかも大の苦手だった。ただの課題として適当に思ったかどうかも知らない文章を並べていた。
高校の頃、夏休みの課題で「リリィ・シュシュのすべて」を読んだ。事柄の羅列に翻弄されてしまい、思うことも大してなかった。
私は、考えない葦だった。
多分幼少期の記憶がないのも、考えて感情を言葉に固定する作業のクセがなかったからだと思う。
ただ口を噤んで、受けた言葉も投げた言葉も反芻せずにいた。
その悪癖はなかなか続き、今でもコミュニケーションでも遅れを取っているコンプレックスのようなものがある。
過去編2
大学の頃に文章は自由に書いていい事を知り、小さい蕾ながらも花が咲いた。読み返すと恥ずかしい事まみれだが、醜くとも花は花だ。
紆余曲折あって文芸サークルに入り、短編を書いたりもした。
その本も今も誰かの本棚にある事だろう…怖すぎ。
主張と説得を知る
人に向けて文章を書く際は、主張を掲げ、それを説得する必要があるらしい…
webnokusoyaroってラップをする普通の人が教えてくれた。新譜まだかな。
他人に解釈を委ねるところの大きいラップを「何も言ってない」「無味無臭だ」とdisる曲だ。
派手な主張だが、間違っていない。
説得は、所属している同人音声サークルで企画立案の際に「まずはこの企画の良さを自分に説得する」がある。
音声編集である都合、未だにまともな企画は立てられてない。でも作りたいんだよな。
出力は丁寧にせよ
思考を磨きたいのであれば沢山の入出力が大事だとみんな言ってる。新書で無限に書いてあるだろう。
昨今は「言語化」という言葉で一大ブームになっていて、渋谷系ギャルの間で流行っているとか。
さて、入力はこの時代無限にある。
意匠のあるバッテンマークのアプリを開けば(質はさておき)140文字以内の言説が腐る程出てくるのだ。
文字に留まらず、その日見た道路の景色だとか、猫が遠くからこちらを見ていただとか、外国人観光客の香水の刺激臭、梅雨時の湿気、何から何までが入力だ。
これらすべてを思い、言葉にして記憶に留めることができる。
それを続けることで、視野は広がるだろうよ。
エグい、ヤバいでも有効だ(と思う)。
まとめ
いつか私も当意即妙な返しができるようになりてぇなぁ。
でもただのトライアルアンドエラーで瞬発力が鍛えられるとは思えないなぁ。