人との衝突を避けるようになった気がする
社会に均されたからか、ただ老いぼれたからか、コミュニケーションではコストを常に意識して話すようにするようになった。
疲れる方向に舵を切る事はしなくなった、とも違う。
どちらかというと「その人にはちゃんとした背景があってこんな事をしてるんだ」と最低限のリスペクトを持って対峙するようになった、だろうか。
どう言うカラクリで挙動をしているのかが分かれば、無用な衝突はあらかじめ防ぐことができる。
ガールズバンドクライ、「大事なこと」とは
アニメ『ガールズバンドクライ』主人公の井芹仁菜はとにかく人とぶつかる「正論モンスター」だ。
井芹仁菜はやたらめったら衝突を好む訳ではなく「自分が大切にしている事を無下にされた時」に食らいつく。
言ってみれば言動に一本筋の通ったものがあり、そこに好感が持てる。
あと頑固と評されつつも、衝突だけして疎遠になるということをしない。「何も知らないくせに」と言われ「じゃあ教えてください」と応える。
どこかで「その人を理解したい」という心の働きが無いと、こんな事はできない。
若さ故とは言い切れないほどのパワーがある人格者だ。
井芹仁菜は「本人が大事にしている事が本人の手で無下にされた時」、例えば河原木桃香がダイヤモンドダストを脱退した経緯が分かる回など、そこの嗅覚も敏感だ。
人が怒る理由
今までの知見で得たものとして、人が怒る仕組みとして「自分が大事にしているものを他人に貶される」がある。至って単純だが、みんなにも思い当たる節はあるだろう。
何度も他人に貶された事があり、その都度衝突をしていた身としては、物事をバカにする言動はなるべく控えたつもりでいる。
でも人には各々のバックボーンがあり、気に障るポイントは人に応じて異なる。
だとしたら、初対面では当たり障りのない会話をし、時折仲良くなるきっかけを掴むため探りを入れる方向になる。
いわゆる「社会通念をわきまえた行為」かもしれない。
余談:ホールドオーバーズ 置いてきぼりのホリディ、仲良くなるということ
映画『ホールドオーバーズ 置いてきぼりのホリディ』は人と分かり合う事の難しさが描かれる。
舞台はベトナム戦争中のアメリカの寄宿舎学校、クリスマスが今よりずっと大事な行事だった頃。
クリスマス休暇に様々な事情があって実家に戻ることが叶わず、学校で年末年始を過ごす堅物教師と生意気生徒の話だ。
物語中盤の話になるが、生意気生徒「アンガス・タリー」と堅物教師「ポール・ハナム」がそれぞれ仲良くなろうと挑戦するシーンが幾度となく描かれる。
「じゃあ代わりに僕の悪いところを言ってよ」「悪いところか」「1つだけ」「1つだけだと?」
軽口のつもりが気に障る事を言った、という事は得てしてある。
この映画の良いところは「仲の悪い人と連続的に仲良くなっていき、最終的にはかけがえのない存在になる」ところだ。
シーンの狭間で何かあった等はなく、ただただ人と人とのコミュニケーションによる繋がりを描いている。人間関係のリアルな描写が美しいんだ。
大人についての個人的な見解
大人とは、自立した自我を持っていて、また自らを律することができる人間だ。敬意を持って接しなくてはならない。
20歳になったらタバコもお酒もできるし法的には大人だが、己を制御できるかどうかは別問題だ。
個人的な信念として、相手が何歳であっても同じように接するよう心がけている。大人の庇護下にある子供が大人のマインドを持っている場合もあるから。
父親がLINEで私を呼ぶ時に「さん」をつけだしてから、(ファザ外道はおれのことを家族の枠を超えて、一人の大人として認めたのか)と思い、自らへの誇らしさを覚えると共に、また父親へのリスペクトも欠かさなくなった。
まあ自分がこの基準において大人かどうかは知り得ないが…
大人と思い込む罠
人生経験が豊富でありながらにして子供のマインドを残している人はいる。
良い言い方をすれば「ピュア」だが、年齢に似合ったマインドは持っておいて損はない。
大人だろうと思い込んで勝手に騙され、ラップ一曲使ってでもdisりたいくらい憎たらしい人間も何人かいる。
私だって誰かのその一人かもしれない。信頼をこっぴどく裏切ったことだってある。
まとめるか
歳を重ねていくと各々大事なものが生まれてきて、それが自分だけじゃないと気づき、衝突を避けるようになる。
人生は物語ほど美しくまとまるものではないが、ガールズバンドクライの井芹仁菜みたいに嘘くさいほど真っ直ぐな人間に憧れたりもする。
んだども世界は残酷なもので、歩み寄れば心を閉ざされ、逆に歩み寄られれば心を閉ざしてしまう。ホールドオーバーズのバッドエンド版だ。
絶望だけしてりゃ良いってわけでもない。もう私にモラトリアムは無いし、絶望とは縁を切ったはずだ。
人間関係の解決に銀の弾丸は無いし、かと言ってそれが心を閉ざす言い訳にはならない。
だとしたら人と語らうという営みを続け、悩みも苦しみもすべて糧として生きていけばいいじゃないか。