祈りの時間が欲しいと思った
残業は不要だ。祈りの時間が減る。
現代には祈りが足りていない。そのせいか、祈りに伴う祝福も足りない。
祈りとしてのSAX
この場での祈りとは「自己満足・自己完結できる趣味に没頭すること」だ。
今今ではSAXがそれだ。
残業1時間が常態化しているために、やりたいことに支障が出てくる。これはよくない。
閑居して狂いを…
音声編集が片付いて、報酬で(厳密には報酬を当て込んで、だが)デジタルサックスを買った。
届くまではサックスができない。何もしなくていい時間というのは空虚だった。
ソシャゲのデイリーをポチポチやりながら、ブログの次の改修を考える。
しばらくすると、空白になる。
虚しい。だから祈りの時間が必要だった。
他人と比較しない、定量化しづらい自己完結の趣味の時間が。
ついでにブログの理念
このブログではツイッターへのシェア機能などは実装していない。これも理念のもとにある。
巨大資本に呑まれると、閲覧者の時間を意図して奪うようになる。無限スクロールが良い例だ。
少なくともこのブログの中では主役は巨大資本ではなく私だ。実装段階で巨大資本の力を借りたが、そこだけだ。巨大資本、オメーは脇役だ。
ツイッターには閲覧数・いいね数・RT数が表示されており、左側のタブでは常に誰かが何かを宣伝、あるいは誰かを叩いている。
表示の半分が醜悪な内容で、もう片方はつながりを求める人間の呟きだ。私だってそうだ。ツイッターに投稿するのは承認が欲しいからだ。
繋がりを求めず、ただ祈る
人の承認なんて得てして気まぐれで、いいねがつかないからそのツイートが悪いなんてことはない。
たまたま、アプリを開いていなかっただけかもしれない。たまたま、そのツイートの気分ではなかったのかもしれない。
SNSはポストへの承認やその衝撃が定量化されているように見えるが、そんなのはまやかしでしかない。
それに一喜一憂していると、気が狂う。
疲れるんすよ。人と繋がるってのは。
人が悪いだとか、特定の人間といると疲れるじゃなくて、人と繋がるという行為そのものが疲れる。
だからブログを立ち上げ、こうも続いている。
祈りを妨げるもの
何になりたい?
父親から「お前さんは何になりたいんだい?」と問われた。
すぐに出たのは「笑顔になりたい」だった。
何者にもならなくていいだろ、とは言えない。両親は私が転職活動中なのを知っているからだ。
「私は、常に最先端の技術を学び続け、それをプロダクトに活かせるプロフェッショナルなフロントエンドエンジニアになりたいです。そして、その過程で得た知識や経験をチームメンバーと共有し、将来的には技術面でチームをリードし、プロダクトの成功に貢献した一員としてクレジットに名を刻めるような存在を目指したいです。貴社の技術力の高いチームの一員として、日々成長し、大きな成果を残していきたいと考えています」
Geminiのflash 2.5に言わせてみればこうらしい。心の底から思ってはじめて言葉を投げる主義としては気が引けるが…
もう一度訊く。何になりたいって?
本当は今応募を出しているエンジニアという職に興味なんてない。今までの事が便利になるような事柄は好きで、同じくPCも好きだが、そんなの得てして数年で飽きるものだ。
心の底から自分のやってる仕事が好きな人間なんて一握りだろうよ。
同人音声だって今や心の底から好きではない。良い音声に出会うこともある。また音声編集という仕事も嫌いではない。報酬が絡むと、人間は奮い上がる。メンバーとの関係も、これ以上求めるところはないくらいだ。
でも、それは「いいチームが続いているからやっている」というのが強い。編集スキルを磨くのも、それが続いているからだ。
本当は「仕事なんてどうでもよく、人生の末期まで後悔無くHAPPYな人間になりたい」だ。
思い出したこと
さくらももこ『コジコジ』で有名なシーン。
「コジコジ、君将来いったい何になりたいんだ?」に対し、「コジコジだよ。コジコジは生まれた時から、ずっと将来もコジコジはコジコジだよ」と。
コジコジはあのフィクションにおいてネームドなのでそれが許されている。
しかしこの世界にネームドのキャラなどいない。全員が全員にとっての人間Aでしかない。
こと就活においては会社に益を為す人間しか雇いたくない。「メカはメカなの」なんて言う奴を雇うリスクは計り知れない。
でも生きていくには働かないといけなくて、加えて私は働かないという暇に耐えられない人間だ。だから、何になりたいか、世間体をわきまえたものを考えないといけない。
サックスを心地よい気持ちで迎え入れるためにも、考えておかなくては。
きっとサックスが来たら何もかも忘れて没頭するだろうかなら。