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飯の種、心と体、渋谷から信濃町へ

企業の看板を背負った音楽に響くものはない?#

渋谷にあるIQOSラウンジでDJイベントがあった。誘われたので行った。

定時に逃げ出し、晩御飯は渋谷のリルウッディーズというハンバーガー屋で済ませた。1600円で中々良い味だった。

音響は歌舞伎町のZEROTOKYOには遠く及ばないが、少なくとも本格的ではあった。

だがVJ。これはいただけなかった。

“FOR YOUR RYTHM”という言葉のアートがルドヴィコ療法のようにひたすら流れていた。

そもそもIQOSラウンジとはフィリップモリスという企業のものだ。そしてZYNという新しいオーラルたばこのブランドを押し出すために、今回のようなイベントを開催したらしい。

やや違和感を覚えつつ、音楽を楽しんでいたら、ここでVJが仕事をする。

“ZYN by IQOS”のロゴが動き、映像下枠には「たばこは危険〜」の文言があった。

きっとこのフロアでシャブをキメていたら、トリップにもブランドロゴとたばこの有害性が表示される事だろう。

お前のリズムはどこにあったか#

音楽はただの道具であり、罪はそれを用いた組織に属する。ライフルが絞首刑に処されないのと同じだ。「汝ら罪なし」だ。

旋律は神の筆の運びであり、律動は神の息遣いだ。和音は…、神の御使いの……、賛美とか?

企業が音楽を用いる時は、やはり警戒すべきだ。

神すら従えようとする姿勢は、ニコチン売りの会社に相応しい。

おれのリズムはここには無かった。

こんなパーティー抜け出して、こんな街すら抜け出して#

同行した友人には「音響が悪くて」と言い訳をして、外に逃げ出した。

高域が歪んでいたのは事実だし、座席が低音で共振していたのも事実だ。

聴けたもんじゃない、と言うのは大袈裟だが、それは出音ではなく音楽の窮屈さにあったと思う。簡単な言葉にするのならば、FAKEだった。

渋谷に戻る。相変わらず東京は外国語が飛び交う都市だ。

私はカフェインを、友人はアルコールを携え、歩く事にした。

秋葉原を目指したつもりが、紆余曲折を経て着いた駅は信濃町だった。

内省が内省で#

積読チャンネルの動画が公開されていた。

「趣味を持とう」だった。

GPTに相談#

趣味とは本来なんなのか、多趣味ながらあまり意識はしていなかった。

ChatGPTに投げてみた。

趣味とは成果・還元を求めず自由に没頭できる行為として、余剰エネルギーを発散させる効能があるらしい。

仕事を失うと体を壊し、趣味を失うと心を壊す。

もろもろ懇切丁寧に人間をヨイショしつつ教えてくれたが、求めているのは、仕事との違いだった。

何を飯の種として働き、何を心の安らぎとしていくべきか。とんと分からん。

なぜ人間の行為が仕事と趣味に二分できるのか。私がGPTと話した後に立てた仮説は「YouTubeのコピーのせい」だった。

「好きなことで、生きていく」は、堀元氏が言うように醜悪なフレーズだ。

転職活動の末に声を上げる#

ハローワークには行けていない。暦通りの仕事がアダとなる。

GPTとの壁打ちで組織開発が向いていると言われた私は、業務中に自社の人事部の求人を眺めていた。

人事部には、私より後に入った気の良い兄ちゃんが正社員で所属しており、その求人は非正規雇用だ。

あの兄ちゃんなら転属で入ったら喜ぶかな、とも思ったが、私はそうなるとなんか悔しいかな。

本当言うと、おれの筆の運びが金となり、おれの呼吸が金となり、おれの手下の仕事が金となるのが都合良い。

つまり「好きなことで、生きていく」だ。

意志が貧弱な人間には、とてもとても魅力的なフレーズだ。

やはり金が絡むと趣味はおかしくなる。欲望と衝動は紙一重で、「こうしてほしい」と「そうせずにはいられない」はどちらも嘘でない。

渋谷のIQOSラウンジで覚えた違和感は、私のFAKEを問いただす。

IQOSラウンジの音楽が窮屈だと思ったように、私の趣味も窮屈になりかけていた。

頑張って自分の価値を証明する必要はない。

自分の筆の運びに、自分の呼吸に、自分の守護天使の仕草に、私は自信を失っていた。

言わなくて良いし、やらなくて良いし、何もせず突っ立ってたって良い。

なぜそうしたくなるか、自信が無い、これに尽きる。

安月給に薄い評価、それに消耗というスパイスが一さじ加わると、自分には価値が無いと思ってしまう。

価値を示すために西へ東へ気をやつし、何か変わるわけでもなくただ日が過ぎる。

私の人生は初めからビューティフルで、最期までビューティフルであるべきだ。違う、そうなっている。

さてさて#

内輪で褒め合ったって何も始まらない。

今、ステッカーボムの本を出そうとしている。個人出版だ。

旧友からXiaomi 14 Ultraも預かる。

JTCに務める彼は生粋のカメラマンであり、異端であり、この前写真展をやって本を出して見せた。不登校だった私を覚えていてくれた彼は「まず撮らないと始まらない」がモットーのように話す。

私のモットーは「沈黙は死と同義」だ。覚えておこうな。

やはり何か爪痕を遺したくなる血が通っているらしい。

さて、ステッカーボムの本を作ろうか。